首相が「罪を犯す意思がない行為でも逮捕される」と公言する国

首相が「罪を犯す意思がない行為でも逮捕される」と公言する国 27日の党首討論で麻生総理は「小沢秘書逮捕」を追及する事が民主党攻撃の最大ポイントと考えていたようで、「民主党は西松問題で説明責任を果たしていない」と鳩山民主党代表を追及した。

マスゴミの誘導的世論調査によるところの「説明責任」を錦の御旗に、ここぞとばかりに民主党攻撃の材料として利用した麻生だったが、良識ある知識人やジャーナリストからは「総理としての資質」を疑問視するコメント記事が相次いだ。
中でも昨日紹介したジャーナリストの田中良紹氏、上杉隆氏のコメントは「なるほどな〜」と納得できる記事であった。

田中氏は「説明責任」について民主主義を基本とする観点から、明快に語っておられる。
最後の部分を引用する。
詳しくは田中良紹の「国会探検」民主主義を壊す「説明責任」を読んでもらいたい。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/05/post_191.html

政治家にも学者にもジャーナリストと称する人間にもいた。検察を棚に上げて小沢氏や民主党に「説明責任」を迫った人間の顔と名前を国民はよく覚えておくと良い。それが民主主義を破壊する人間の顔である。それらの集大成が党首討論での日本国総理大臣の発言であった。まさか記録に残る国会の場であれほど「説明責任」に固執するとは思わなかったが、それが最も効果的な攻めどころだと思ったのだろう。しかしそれだと麻生総理は後世「民主主義の破壊者」として記録される事になる。残念だが官僚の振り付けどおりに動くとそう言う事が起きる。

一方上杉隆氏は党首討論で西松問題攻撃に終始した 麻生首相に政権与党総裁の矜持は無いと切って捨てた。
上杉氏の記事も最後の部分を引用する。
詳しくはhttp://diamond.jp/series/uesugi/10079/?page=3

せっかくの党首討論であったのに、首相はいったい何を訴えたかったのだろう。自らの行なってきたこれまでの施政を振り返ることもなく、今後の日本政府の目指す方針について語ることもなかった。

 選挙目当ての詭弁を弄し、国民には無関係の野党の前代表の公設秘書を攻撃する。それが、国民の最大の関心事だと叫ぶ。

 それが、現在の日本の内閣総理大臣なのである。

そして元東京地検検事だった名城大学教授・弁護士 郷原信郎氏は、党首討論における麻生太郎の発言は、一国の総理として看過出来ない発言であると専門家の立場から問題を提起された。
郷原氏は麻生首相の発言を「これは、単なる「間違い」とか「無知」というレベルで片付けられることではない。犯意がなくても逮捕できる、首相が公言し、それが許容される。戦前の治安維持法の世界を思わせるような恐ろしいことがこの国に起きている、という現実に、我々は向き合わなければならない。」と民主主義の根幹を揺るがしかねない日本の現状に対し警告を発しておられるのだ。

西松問題で民主党への批判を繰り返している人達の中にも、この事件の背景を有る程度理解しながらも、「政治とカネ」に対する観点で民主党への失望感から批判している人もいれば、西松事件を格好の材料として小沢失脚を狙うことを目的に権力を持つものの側(国家、検察、マスゴミ)に立って批判を繰り返している輩もいる。
中でも多いのはマスゴミの情報操作による世論誘導によって、事件の背景や本質を考えることなく批判している人達だろう。

自らの思想信条からなのかどうか私には解らないが、小沢憎しの感情論から西松事件を拠り所に小沢批判を展開するネトウヨと言われる輩は、理由はどうあれ政権交代阻止を目的に権力を持つ側に立ち批判している。
どれほど崇高な思想信条を持ち合わせている人達であるかは、真ん中にいる私からは良く解らないが、
偏った思想信条で有っても主張・批判するのは大いにやればいいが、いささかでも愛国を自任するなら、民主主義の根幹を揺るがしかねない権力の暴走や既得権益の上に胡坐をかき国民視点に立った政治を放棄して来た自公政権に対しても平等に批判しなければ理解されない。

話がずれちゃったけど、右も左も関係ない国民の多くは西松事件の胡散臭さをすでに感じ始めている。
麻生太郎は野党党首になったつもりで党首討論に臨んだ」などと言われるようでは、今週末の世論調査の結果によっては、またぞろ麻生降しの声が党内から出てきそうだ。


名城大学教授・弁護士 郷原信郎
首相が「罪を犯す意思がない行為でも逮捕される」と公言する国
http://www.comp-c.co.jp/pdf/20090528_issue.pdf


5 月 27 日の党首討論の中で、麻生首相の口から、耳を疑うような言葉が発せられた。
「本人が正しいと思ったことであっても、少なくともは間違った場合は逮捕される」
鳩山民主党代表が、企業団体献金の廃止の問題に言及したのに対して、麻生首相は、小沢前代表の秘書の事件とそれに関する説明責任の問題を持ち出した。そして、鳩山代表が、
「小沢前代表は第三者委員会の場で説明責任を果たした」と述べた上で、企業団体献金を廃止すべきとする理由について、「正しいことをやっていた、全部オープンにしていた。でもそのことによっても逮捕されてしまった。ならばその元を絶たなければいけない」と述べたことに対して、麻生首相は、次のように発言した。


麻生:いろいろご意見があるようですけども、まず最初に、先ほどのお話をうかがって、一つだけどうしても気になったことがありますんで、ここだけ再確認させていただきたいのですが、正しいことをやったのに秘書が逮捕されたといわれたんですか

鳩山 :本人としては、政治資金規正法にのっとってすべて行ったにもかかわらずと。これは本人が昨日、保釈をされました。そのときの弁であります。

麻生: 基本的にご本人の話であって、正しいと思ってやったけれども、法を違反していたという話はよくある話ですから。少なくとも、それをもって国策捜査のごとき話にすり替えられるのは、本人が正しいと思ったというお話ですけれども、本人が正しいと思ったことであっても、少なくとも間違った場合は逮捕されるということは、十分にある。
それは国策捜査ということには当たらないのではないかと私どもは基本的にそう思っております。



 麻生首相は、政治資金の処理に関して、本人は正しいと思っていても間違っていた場合、つまり、「正当だと思って行った処理が結果的に虚偽だったことが判明した場合」には逮捕される、と述べた。今回の小沢氏の秘書の事件に関して「本人が正しいと思ったこと」というのは、「政治資金収支報告書の記載が正しいと思っていた」ということであり、要するに「虚偽だとは認識していなかった」ということである。その場合でも、間違った記載をした場合は逮捕されると言い放ったのだ。

 一国の総理が、国会の党首討論の場で、「罪を犯す意思がない行為」でも、結果的に間違った記載をしたら逮捕されると堂々と公言したというのは、信じられないことだ。
刑法38条1項に「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。」と規定され、犯意が存在することが刑事処罰の大原則であることは、刑法の基本中の基本である。検察庁を含む行政組織全体のトップである麻生首相が、その基本原則に反する発言をしたのだ。

西松建設関連の政治団体から小沢氏の資金管理団体陸山会」に対して行われた寄附が政治資金収支報告書の虚偽記入に当たるとされて秘書が逮捕・起訴された事件については、そもそも、寄附者を政治団体と記載したことが虚偽記入に該当するのかどうかに重大な疑問がある。つまり、資金の拠出者の記載を求めていない現行の政治資金規正法の下では、実質的な資金の拠出者が西松建設であっても、寄附者として記載すべきは、自らの名義で寄附という行為を行った政治団体ではないか、という点、つまり収支報告書の記載が客観的に虚偽と言えるかどうかが問題となる。そして、仮に、客観的に虚偽だと認められた場合でも、逮捕された会計責任者の側が、収支報告書作成の段階で虚偽だと認識していなければ犯罪は成立しない。

 そして、重要なことは、小沢氏側にだけに犯罪が成立し、同じ政治団体から寄附を受け取っていた自民党議員側には成立しないとすれば、その理由は、「客観的には虚偽であるが、虚偽だとの認識、つまり犯意がない」ということしかあり得ない。鳩山代表が、小沢氏の側だけが逮捕され、自民党議員側は何もおとがめなしだということを問題にし、その際、漆間官房副長官の「自民党議員には捜査は及ばない」という発言を取り上げているが、この漆間氏の発言を正当化する余地があるとすれば、その唯一の理屈は「自民党議員側は犯意が立証できない」ということのはずだ。

 ところが、そこで、鳩山代表に対する反論として麻生首相が持ち出したのが、「犯意がなくても逮捕される」という話なのである。これは、自民党議員に捜査が及ばないことを正当化する理屈をすべてぶち壊す発言でもある。この考え方に基づいて、検察が捜査をするとすれば、西松建設の関連団体から政治献金を受けていた自民党議員側もすべて逮捕しなければいけないことになる。ところが、ここで、麻生首相は「国策捜査」という言葉を自ら持ち出しているが、虚偽の認識がなくても収支報告書の記載が誤っていただけで逮捕できるというのであれば、自民党議員側に捜査が及ばない理屈をすべてぶち壊しているに等しい。

 このような討論が、国会の党首討論の場で、真面目な顔で行われているという現実には到底ついていけない。こういうことは、麻生首相がお好きな、マンガかギャグの世界でしかありえないはずだ。しかし、現実に国会で首相がそういう発言をしたのであり、しかも、信じられないことに、党首討論について報じる新聞に、この「犯意がなくても客観的に誤っていたら逮捕される」という麻生発言を問題にする論調は見あたらない。法治国家においては絶対に容認できない国会の場での首相の発言が、何事もなかったように見過ごされているのである。

 これは、単なる「間違い」とか「無知」というレベルで片付けられることではない。犯意がなくても逮捕できる、首相が公言し、それが許容される。戦前の治安維持法の世界を思わせるような恐ろしいことがこの国に起きている、という現実に、我々は向き合わなければならない。
http://blogs.yahoo.co.jp/posutoman21/48396154.html  さん より