世襲議員には何の展望もないこと、何も考えずに知名度だけで世襲議員

世襲議員には何の展望もないこと、何も考えずに知名度だけで世襲議員を国会に送り込んできた有権者たる我々は大いに反省すべきこと、が雁屋哲氏のブログを引用されて展開されていたが、その通りだと感じる。
世襲議員は、過保護に育っているので、外圧の変動に対応できない。 そんな人間に国の運営を任せようというのがありえないことなのだ。 今月末の衆議院選挙の最低限のチェックポイントになるだろう。

■以下、喜八ログ2006年10月17日記事より引用http://kihachin.net/klog/archives/2006/10/sesyuu.html________
「やくざ」の世界に詳しいわけではない私(喜八)が勘違いをしているのかもしれませんが、あの世界は「実力がものをいう」ように思えます。名を知られた親分衆を思い浮かべても「世襲」で地位を得た人なんていません。もし世襲によって能力の低い者がリーダーになったとしたら・・・、そんな組はあっという間に他の組によって食い尽くされてしまうでしょう。 そういえば、某巨大組織のドンの長男に生まれた人が「子供のときから『ボン』として育てられた男(自分のこと)が組を束ねられるわけないでしょう」と淡々と語っていたのを読んだことがあります。この方のお父さん(故人)は文字通りの裸一貫から「日本のドン」と呼ばれるまでになった人でした。現在でもアウトロー社会では深い尊敬を集めている人物です(ふとしたことから私はそれを知りました)。
とはいえ『セーラー服と機関銃』原作者の赤川次郎さんは、その荒唐無稽さを逆手にとって、ひとつ間違えば殺伐としかねない題材をファンタジー作品に昇華させたのでしょうね。「まさにプロフェッショナルの手並」と感嘆すべきなのでしょう。それに私自身も素ッ堅気ですから、縁のない世界の話題はこの辺りでやめておきます。
世襲」といえば「政治家の世襲」は御伽噺でもなんでもなく、きわめて現実な問題として、日本の現在・未来に大きな影響を及ぼす現象です。いまや政治家の世襲はごく当たり前の時代。二世・三世の政治家が増えているというだけでなく、安倍晋三現総理も小泉純一郎前総理も「三代目」という事実には戦慄を覚えます(のは私だけ?)。 というわけで、衆議院議員鈴木宗男さん(「新党大地」代表)の、「議員の世襲」に関する以下の意見には諸手《もろて》をあげて賛成します(「ムネオ日記リンク(2006年10月16日)」より引用。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   大阪9区、神奈川16区の補選について、各新聞は中盤情勢を書いているが、2つとも自民党議席であり、自民党が勝ってあたりまえのところである。民主党候補がこの一週間どんな動きをして結果を出すか、また、自民党候補が二世の利を活かすのか、親子二代、三代と国民の税金で食わしてもらって良いのかどうか、選挙民は賢明な判断をして欲しいものである。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ちなみにムネオ氏は徒手空拳からスタートして、常人にはまず真似ができないような奮闘を20年近く続けた後、ようやく国会議員となった典型的「叩き上げ」オヤジです。
   先に、やくざ組織を例に挙げて「もし世襲によって能力の低い者が組長になったとしたら・・・、そんな組はあっという間に他の組によって食い尽くされてしまうでしょう」と書きました。これは「国際社会」にも通じる原理のように思えます。いまだって国際社会は「喰うか喰われるか」の修羅場ですから。
   イラクに「大量破壊兵器がある」とインネンをつけて(実際にはなかった!)、半ば武装解除させた上で総攻撃を加えた米国の手口などは、やくざだって「俺たちはあんな汚いやりかたはしないぞ」と吐き捨てるような陋劣なものでした。剥き出しの「実力」がモノをいう国際社会。こんな「鬼ばかり」の娑婆を渡ってゆくのに、能力の乏しいボンボン首相や取り巻きの二世三世議員に日本国の舵取りを任せるとしたら・・・、それこそ「究極の平和ボケ」「自殺行為」であるとしか思えませんね。    ____________________________引用以上