円を刷りまくってニッポン人に配るべし、一人とりあえず百万円を!!

円を刷りまくってニッポン人に配るべし、一人とりあえず百万円を!!! 円安になって助かる面もあり
財政赤字の解消は、徳政令か好景気維持しての税増収しかありえません。 財務省のトップ層の総入れ替えを
緊急に実施すべし。
『政府、デフレを公式宣言=景気下押しを警戒−11月月例経済報告
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2009112000644
 菅直人副総理兼経済財政担当相は20日、関係閣僚会議に提出した11月の月例経済報告で「物価の動向を総合してみると、緩やかなデフレ状況にある」との見解を表明し、物価が持続的に下落するデフレに逆戻りしたことを公式に宣言した。政府がデフレと認定するのは2006年6月以来3年5カ月ぶり。(後略)』

 本日はデフレの話です。
 かつて、ある国でバブル経済が崩壊し、政府の財政が急激に悪化したことがありました。そのため、時の施政者が「財政支出の切り詰め」と「増税」で財政健全化を目指したところ、状況は却って悪化してしまいます。不況下の緊縮財政により、「極度のデフレ経済」「物価下落と増税による庶民の困窮」「貧富の格差の拡大」「人口増加のストップ」などの深刻な問題が発生し、社会は不安定化しました。
 まあ、享保の改革の話なのですが、先日「ダーウィンの罠 後編 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10390329240.html  」では、デフレを悪化させた部分しか書かなかったため、何となく吉宗に対しアンフェアに思え、続きを書きたいと思います。
 幕府の財政健全化を目指した吉宗の政策の中で、特にデンジャラスだったのは「米価」の継続的な下落を引き起こしてしまったことです。何しろ、当時の支配階級である武士たちは「石高」で給与を貰っていたのです。石高とは米の量であり、米の価格ではないのです。
 米価が下落した結果、実質的な所得が落ちてしまい、幕府の政策に不満を持つ武士が増えていきました。

 300年近い歳月が流れ去った現代日本
 1997年の橋本政権に始まった長期デフレにより、国内企業の経営者は売上の低迷に苦しめられています。何しろ、デフレが続くということは、「同じ物を同じ量」販売したとしても、売上が下がってしまうということなのです。
 デフレ下では中期的に売上の増加が見込めず、企業の経営者たちは人件費を上げることができません。
 結果、橋本政権以降、日本の給与所得者数は増えていくにも関わらず、給与総額全体は落ちていくという困った現象が発生してしまいます。

【日本の給与総額と給与所得者数推移 1972年-2007年】
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_25.html#Heikinkyuyo

 給与所得者数が増えているにも関わらず、給与総額が落ちているとは、すなわち平均給与が下がっているということです。2003年から07年までの景気拡大期は、「いざなぎ越え」と呼ばれるほど長期に渡ったにも関わらず、同時に「実感なき経済成長」とも呼ばれましたが、当たり前です。この期間でさえ、平均給与は下がり続けているのですから。
 とは言え、政府が「財政健全化」を理由に支出を増やさず、同時にデフレが続く環境下である以上、これを経営者のせいにすることなどできるはずもありません。売上が名目値で増加していく確信がもてない以上、経営者が無茶な給与増に踏み込めば、下手をすると会社が倒産してしまいます。

 時はまたまた過去へと遡り、1736年。デフレが続き、農民は増税に苦しみ、享保の大飢饉の影響もあり、農民一揆が頻発、さらには武士階級までもが米価下落で大ダメージを受け、社会に不穏な空気が広がる中、吉宗はまさに起死回生とでも言うべき手を打ちました。日本史上、最も効果が高かったと評価されるリフレーション政策、「元文の改鋳」です。
 元文の改鋳とは、要するに新通貨切り替えなのですが、新旧貨幣(要は小判)の切り替えの際に、「旧小判1両=新小判1.65両」になるように「増歩(ましぶ)」を行った点が画期的でした。すなわち、人々は旧小判1両を交換所に持っていくだけで、65%の収益を上げることができたわけです。
 当たり前ですが、新小判への切り替えは一気に進み、国内の通貨供給量が増大した結果、日本は長期間継続したデフレから脱却することができました。米価も無事に回復し、武士階級の不満も収まり、社会は安定に向かいました。

 本エントリーで何が言いたいか、お分かり頂けるでしょうか。
 先日も書きましたが、バブル経済崩壊後の長期デフレという経済問題は、歴史上、何度も発生しているのです。その度に、わたくしたちの祖先は試行錯誤を重ね、大抵のケースでは初期段階において緊縮財政に走り、問題を悪化させ、更なる試行錯誤の末に何とか解決することを繰り返してきたということです。
 別に江戸時代に遡らずとも、1929年の世界大恐慌時では、アメリカのみならず、日本も現在と酷似した状況に陥りました。危機に陥る度に、わたくしたちの祖先が四苦八苦しながら、何とか問題を解決してきた結果、現在のわたくしたちの生活があるということなのです。

 現代の日本が抱える問題は、別に「現代日本特有」の問題でも何でもないのです。 
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10394750179.html
 

さん より