道路建設は輸出産業で稼いで、税金を地方に分配するしくみだった1

道路建設は輸出産業で稼いで、税金を地方に分配するしくみだった1
  狒狒 道路族を調べていたら、面白い文章にぶち当たった。
満州の実験で確かめ、岸らが作った官僚主導の国家体制が道路族を生んだ。輸出産業を統制下で発展させ、外貨を稼ぎ、農業に金をばら撒き、票を稼ぐ。その循環を担うのが道路族。
もう、この体制では今の危機を乗り越えれない。

田中良紹の「国会探検」リンク http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2009/03/post_175.html さん から

〜1より

 日本の資本主義経済は明治以来欧米と同じ仕組みで発達し、
大正デモクラシーをもたらしたが、岸らはそれを根本から作り替えた。
企業が証券市場から資金を得る「直接金融」をやめさせ、
大蔵省の監督下にある銀行から融資を受ける「間接金融」に切り替えた。
これで民間企業が国家の間接支配の下に置かれた。

 産業界を官僚の「行政指導」と「経済政策」に従わせ、官の指導を
行き渡らせるため業界ごとに「統制会」を作らせた。
経団連は戦前の「統制会」が戦後復活したものである。
企業から株主の影響力を排除して内部昇格者に経営を委ね、
年功序列賃金」と「終身雇用制」で企業一家の仕組みを作った。
下請け制度を導入し「系列」を作ったのもこの時である。
これらが戦争遂行のため「国家総動員態勢」の下で行われた。
1941年にヒトラーと会い、その後スターリンと会見した
外交官松岡洋右は「日本人は道義的共産主義者である。
中国との戦いも中国ではなく後ろにいるアングロサクソン
資本主義との戦いだ」と述べている。

 しかし日本もドイツも資本主義諸国に敗れた。
ところが日本ではこの官僚主導の統制経済モデルが戦後に甦り、
日本を世界第二位の経済大国に導くのである。
55年体制」の自民党岸信介椎名悦三郎の「満州コンビ」が
権力を握り、彼らは通産省を拠点に日本の重化学工業化と輸出立国を
国家総動員態勢」で実現した。
石炭産業を強制的に潰し、安価な石油を使って自動車、家電産業の
国際競争力を高め、その輸出で外貨を稼ぐ経済構造が作られた。

 製造業の国際競争力を国が支援する裏側で、農業は保護を要する
衰退産業にさせられ、保護のため国は地方に税金を移転する仕組みを作った。
それが道路建設である。
農村が自民党の票田となり道路族が強いのは輸出立国の裏返しだ。
この経済構造はアメリカとの間に熾烈な摩擦を生んだ。
ニクソン・ショック」、「プラザ合意」など、アメリカは
円高誘導を行って日本の輸出産業に打撃を与えたが、
それでも日本は変わらない。
いつしかアジア各国も日本を真似るようになった。
輸入がなければ輸出は成り立たない。輸入大国となったアメリカは、
その赤字を埋めるため様々な金融商品を作って売ることにした。
その構造に破綻が生じた。それが目の前にある「百年に一度の危機」である。

 危機を脱するためにはこの構造に目を向ける必要がある。
戦前の指導者は大恐慌に対抗して資本主義を排し統制経済体制を作った。
それが戦後の高度経済成長をもたらした。しかし官僚統制型経済、
製造業に特化して輸出で外貨を稼ぐ仕組み、官僚主導を担保するため
政権交代をさせない仕組み、それらは既に限界に来ている。
にもかかわらず構造だけは生き残って「百年に一度の危機」を招いた。
今の日本に必要なのは次なる構造転換を構想出来る指導者である。
景気対策程度で力んでいる場合ではない。
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景気対策どころではない、確かに。
こっちで稼いで、こっちへ補填する、という時代ではない。
どうする?


http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=203330 さん  より
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■「危機が求めるもの」■

グリーンスパンFRB議長に「百年に一度の危機」と言われて、
「まず景気対策だ!」と叫んだのは麻生総理と御手洗経団連会長である。
しかし景気対策程度の小手先では解決出来ないからグリーンスパン
「百年に一度」と言った。
我々は80年前の大恐慌に匹敵するかそれ以上の危機が訪れている事を
直視すべきである。
大恐慌景気対策では跳ね返せず、資本主義を構造変化させ、
戦争によらなければ解決出来なかった。

 1929年にニューヨーク証券市場で株価が大暴落した時、
共和党のフーバー大統領は「古典派経済学」の自由主義固執して
世界を不況に陥れた。
代わって登場した民主党ルーズベルト大統領は資本主義を修正し、
ニューディール政策」を行ったが、言われるほどの効果はなかった。
アメリカの景気が回復したのは日本の真珠湾攻撃によって
太平洋戦争が始まり、軍需生産が本格化した42年である。

 一方、世界では大恐慌の影響を受けずに経済成長に成功した国が
二つあった。ソ連とドイツである。
1917年の革命で共産主義国家となったソ連は、大恐慌の前年から
スターリンが主導して計画経済を推進し、農業の集団化と重化学工業への
転換を実現して世界を驚かせた。

 第一次世界大戦の敗北で失業と貧困にあえいでいたドイツでは
33年にヒトラーが権力を握り、国家社会主義政策で完全雇用
成し遂げた。
財政赤字をものともせずに軍需産業に投資をした結果である。
必然的にドイツは軍事強国となり、第二次世界大戦を引き起こした。

 昭和恐慌に打ちひしがれた日本にも構造転換を図ろうとする人物が現れた。
軍人石原莞爾は日本の工業力の脆弱さを痛感して満州に実験国家を作り、
ソ連情勢に精通した満鉄調査部の宮崎正義と組んでソ連を真似た
統制経済を推進した。
国力のないまま戦争することに反対だった石原は日中戦争を巡って
東条英機と衝突、太平洋戦争を前に引退したが、満州を舞台にした
統制経済は商工省から派遣された岸信介椎名悦三郎らに引き継がれ、
彼らは満州での成果を日本国内に持ち込んだ。
それが「1940年体制」と呼ばれる官僚主導の経済体制である。

〜2に続く http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=203328 さん  より