日支(日中)戦争は中国側から戦争を仕掛けたことが明らかだったから

「「 蒋介石はなぜ終戦後に対日賠償金請求を放棄したのか? それは
日中戦争は中国側から戦争を仕掛けたことが明らかだったからだ。   」」
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/9e3a337c65b5c8695750cd8e1203bfe9
「「 日中戦争は、昭和12年8月13日の、蒋介石の「中央軍」による、日本海軍上海陸戦隊への総攻撃で始まった。「盧溝橋事件」ではない。 支那事変は日本の侵略であるどころか正義の自衛戦争であって ・・・ 」」
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/399eb251c283f20befbb23965d77d649
◆技術戦としての第二次世界大戦兵頭二十八/著 別宮暖朗/著
http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/31965235.html
◆『兵力差が圧倒的だった昭和12年』 2008年11月12日 年輪
http://yhsvtex.blogspot.com/2008/11/12-12-1939.html
・・・  ここでは、ノモンハンへ入る前の、日本が、何度も何度も自重して中国大陸への陸軍派遣をためらった揚げ句、蒋介石の攻撃に耐えかねて軍をすすめた昭和12年のあたりから、章だての順番にしたがって見ていきたい。

ちょうど昨日、国会で「日本は侵略国家ではなかった」との骨子の論文を書いた元航空幕僚長の田母神氏の国会での「参考人」質疑があったばかりである。

軍学者の兵頭氏が、第二次世界大戦は1939年のヒットラーによるポーランド侵攻によって始まったのではない、という書き出しで始まっている。
昭和12年(1937年)8月13日の、蒋介石の「中央軍」による、日本海軍上海陸戦隊(しゃんりく)への総攻撃で始まった。これは1928年に諸国が合意したパリ不戦条約のれっきとした違反であって、支那側の侵略である。』

私はこのことをここ一年ほど前に別の手段で知ったばかりである。もちろん、最近の中国における日本大使館がデモ群衆に取り囲まれ、狼藉を受けて、中国側は窓ガラスの修理もしない、などという類いの範疇ではなく、すでにアメリカと内通していたであろう蒋介石の正規軍が、ドイツ製武器を豊富にそろえ、国際法上問題のない、しゃんりくへ軍事攻撃を仕掛けてきたのである。

ある人は、これを中国軍が先に侵略したから、日本軍による正当な反撃を受けたのである、と書いていたが、ウロコが1枚はがれた思いであった。

『それに対して昭和12年の7月の「盧溝橋事件」は「侵略」でも「開戦」でもなかった。___というのが『軍事史からみた「南京事件の真実」で展開された別宮先生の説得力あるご主張でしたね。』とある。

これを受けて、別宮氏も、ライシャワー元駐日大使(夫人は日本人)もほぼ同様の趣旨の見解を自伝の中ではっきりと示しているという。

『そうなると、支那事変は日本の侵略であるどころか正義の自衛戦争であって、まさしく「暴支」を「膺懲」したものにほかならなかったわけだ。しかるにそれが、あたかも日本の侵略のように戦後の歴史の教科書で教えられてしまっているのですけれども、いったい誰のせいなんですか?』とあって、ここ数日の騒ぎで何も田母神論への正式な反論がなかっただけに、やはりふだん日本人がクサイものにフタ式に避けているように思われる空間の重い存在に突き当たる。