普天間から辺野古への海兵隊移設問題は、米国海兵隊の軍施設近代化が

普天間から辺野古への海兵隊移設問題は、沖縄住民の負担軽減でもなんでもない。米国海兵隊の軍施設近代化が主目的である。
また、当初は40mのヘリ用滑走路で十分だった。それを、地元市政が民間空港利用を意図し、2000m滑走路に変えてしまった。

永田町異聞及び「下河辺発言」から確認します。
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10381970805.html
普天間移設は米軍近代化のためという下河辺証言
リンク
以下該当引用・・・・

長年にわたり沖縄の基地問題と深いかかわりをもってきた元国土庁事務次官下河辺淳氏の膨大な資料と、下河辺氏へのインタビューをまとめたレポート(江上能義早大大学院教授、2003年)のなかに、はっきりとそれが書かれている。
話は1996年にさかのぼる。その前年には米兵たちによる少女暴行事件などがあり、沖縄県民の米軍基地への反感はつのる一方だった。
普天間基地の返還を強く求める大田沖縄県知事と、橋本首相との会談が96年3月に行われ、その後の4月12日に、橋本首相とモンデール大使が共同記者会見して「普天間返還」合意を発表した。

そのときの経緯や背景に関する江上教授の質問に対して、下河辺氏は以下のように証言している。

江上 「普天間返還は先生にとっても突然の話でしたか?」
下河辺 「いや、そうは思わなかったですね」「普天間は移転しなくっちゃ防衛上の役割は果たせないというのが海兵隊の結論ですから、軍事技術上の必要から移転するわけですから」
江上 「普天間返還合意は代替施設の条件付でした」

下河辺 「米軍にしたら、近代化のために移転するということであって、住民との関係で普天間を返してもらう運動に合意したなんていうことは一切ないですよ」 「女の子がレイプされたから移転しますなんてことにはなんないですよ」
沖縄県民の思いを汲み取ったというのではなく、海兵隊を老朽化した普天間から新しい近代的な基地に移転させたいということだけが米軍の本音であることがわかる。

嘉手納統合案がなぜ潰れたかについても、こう語っている。

「嘉手納は住民の反対で止めたんじゃなく、米空軍が拒否したわけです」「海兵隊入れるの嫌だって言って」

米軍が辺野古の新しい基地を強く望むはずである。

引用終り・・・・

琉球大学の「下河辺淳氏オーラル・ヒストリー」の第1回下河辺淳氏インタビューでは、当初の移設基地では、ヘリ用の40m滑走路で十分であったと語られている。
リンク

以下引用・・・・

下河辺 「滑走路だってあんな長い滑走路はヘリコプターにはまったく必要としなくなっていて、滑走路は40メーターでいいなんていう状態だったわけですよね。だから、移転というのは軍事的な技術レベルを上げることというのが本音だと思う。いまさら名護の市長にしてみると、「軍民共用の飛行場じゃなくちやいやだ」と言ったために40メーターの滑走路に反対なんですね。少なくとも1000メーターの滑走路で旅客機が発着できなきゃダメって、だから私は市長さんにはいやー那覇から名護まではヘリコプターで旅客を運んだら、40メーターで済むんじゃないか、つて言ったんですけどもね。普通の小型旅客機でやりたいって、言ってましたね。」

江上 「最初は1000メートルくらい」
下河辺 「1000メーター」
江上 「1000メーターですね。1000メーターが1600になっていって、いま2000メートルに。」
下河辺 「そうです。それが地元の要望なんです。」
江上 「軍民共用のあれで、民のほうで伸びていったわけですね。」
下河辺 「そうです。軍の方はもう40メータでいいっていうんだから。なんか変な話になっちゃいましたよね。」

・・・・・引用終り

米国軍隊の空軍と海兵隊の縄張り争いまで、日本が尻拭いする必要はないのである。
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10381970805.html
  さん より