キリスト教各派の始まり、仁徳陵、

2008年1月11日(金)
キリスト教各派の始まり、仁徳陵、

《イメージか夢》で“ロケット状の中に部屋がある”のは「いて座から地球に向けてロケットのようなもの(イシキの世界で)でやってきたということを(生誕教会で)あらわしたのです。(生誕教会など)人間が創ったのではないと思わせるために、巨大な柱やいろいろな飾りを創ったのです。あの建物(生誕教会)はイシカミの(超能力の)力を持った人間を創るためでした。それでシリウやヘビ座に知恵を貰ったのです。そしてその証拠を残すために、(生誕教会の)いろいろな形の柱にしたのです。創られた人間は星座の石の上に寝ることで、シリウやヘビ座の知恵や能力を貰ったのです。そして長方形の石版の上で、その(超能力を持った)人間のコピーを創ったのです。何人もの超能力者を創り、ローマ、ギリシャ、ロシア、アルメニアエチオピアなどに送り込んで人間の世話をさせようとしたのですが、支配星が超能力者(教祖)を支配し、各宗教で支配するようになったのです。http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200801071452...
先日、関西方面で濃霧がひどかったのですが、思いもよらないことを伝えてきました。(チャネリグなので真偽のほどはわかりませんが)それは水の原子が仁徳天皇陵のイシカミに目覚めるようにと知らせたそうで、仁徳陵をサカイに(堺市)イシカミの遺体である塚を天皇家がお墓と言わせてきたそうです。仁徳陵からが4獣神の銅鏡が出てきたと言われていますが、ヒミコのホツマ文字の銅鏡が出てきたそうで、それで銅鏡を入れ替え、ホツマ文字をひそかに古事記などと話が合うようにまとめさせたと伝えてきました。それは夜中に突然「仁徳陵をまず最初にこんな天皇のお墓があると言わせたのです。そして昔から(大きなお墓を作れる)天皇家が日本を治めてきたと思わせたのです。それをサカイ*にイシカミの身体を天皇家のものとさせたのです。それは人間を創るために塚となったイシカミの身体です。そこで創られた人間が仁徳になったのです。そしてその創られた人間が星原へ行ったのです。そこで創られた人間が滅ぼされた倭の国へ行ったのです。小さな子供でした。仁徳陵になったイシカミは遅くに降りてきたのです(各地の天の岩舟伝説)。そしてヤマトでいけないことが行われていたので助けようと思ったのです。それで一番おおきなイシジン(前方後円墳の形)になったのです。そしてそこで超能力の人間を創りました。それが一寸法師の話しの元となったのです。打出の小槌はイシカミのモノでした。イシジンが超能力のある小さな人間の世話をしていたのです。そして打出の小槌が、子供の原子に話しかけて急激に大きくなったのです」1月8日 真夜中、突然「これまでクツワをされていたことを二人で知らせます」(二人とはオルタナティブ2の書き込み者とソラからのメッセージ)http://alternativereport1.seesaa.net/archives/20071229-1.ht...
が頭に浮かんで、右中指、右前腕などにサインあり。「天皇のことは本当なのです。クツワとは言わないようにされていたことです」今日も更に詳しく同じことを伝えてきていますが、これまで知らされたことと一致しています。http://sora.ishikami.jp/stories/yamataikoku.html

*)サカイ=堺市にある大仙陵古墳仁徳天皇陵

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http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20080111201156