検察は悪い人間を捕まえる捜査機関ではない。権力者に障害となる

検察は悪い人間を捕まえる捜査機関ではない。権力者に障害となる
人間を捕まえるところである。ロッキード事件がそれを物語っている。

2009年3月5日 木曜日

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◆予言が現実になった 3月4日 田中良紹


麻生政権誕生時に私が予言したことが現実になった。「麻生政権は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露する以外に生き延びる術はない」と言った事がその通りになった。

 実は07年の参議院選挙惨敗以来、政府与党は民主党の小沢代表を失脚させる事に専念してきた。小沢代表さえいなくなれば、仮に政権交代が起きたとしても民主党は少しも怖くない。なぜなら小沢代表以外に「権力」の裏表を知る人間が民主党にはいないからだ。

 与党と官僚とが微妙な隙間を作りながら複雑に絡まり合い、どこに権力のポイントがあるのかを分からなくする日本の統治構造は、国会議員であっても誰も内実を知らない。ましてそれを縦横に操る事の出来る人間など滅多にいない。しかしかつて権力の内側に身を置き、権力を操った事のある「経験者」が小沢一郎氏である。霞ヶ関の権力機構からすれば最も「目障り」で「恐ろしい」存在だった。

 小沢氏がいなくなれば、民主党を権力の手のひらに載せ、今の自民党と同じように溶かしてしまう事が出来る。しかし小沢氏の手で政権交代になると本当に霞ヶ関は解体されかねない。だから07年から小沢氏は権力にとってスキャンダル暴露の最大ターゲットであった。

 その事は当然小沢氏も分かっていた。だから07年11月に福田政権に対して「大連立」を仕掛けたと私は見ていた。「大連立」は参議院選挙で権力の半分を失った自民党が権力にしがみつくための唯一の方法である。次の衆議院選挙で勝ったとしても三分の二以上の議席は維持できない。参議院選挙で過半数を獲得するまで自民党は権力が半分の状態を続けなければならない。10年以上もその状態が続く事になる。しかし「大連立」が実現すれば権力の座に居続けられる。それを見透かして小沢氏は「大連立」を仕掛けた。

 民主党には3つのメリットがあった。一つは権力の内実を知らない若手議員に統治行為の訓練をさせる機会が得られる。二つ目はあわよくば自民党から有為の人材を引き抜くチャンスになる。そして三つ目は大連立に前向きな小沢氏を自民党はスキャンダルで潰せなくなる。「大連立」には「一石四鳥」の効果があると私は見ていた。

 しかし「大連立」は頓挫した。それでも福田政権が続く限り、小沢氏のスキャンダル暴露はないだろうと思っていた。福田政権は民主党と対立する事の愚かさを分かっていると思ったからである。ところが麻生政権が誕生したとき、人事を見て考えを変えた。今度は民主党のスキャンダルを暴露するための政権だと思った。官房副長官に前警察庁長官を起用したからである。警察庁内部からもその能力には疑問符をつけられ、とても霞ヶ関を束ねる事に向いていない人物をなぜ起用したのかが問題である。

 検察は悪い人間を捕まえる捜査機関ではない。時の権力者にとって障害となる人間を捕まえるところである。ロッキード事件が端的にそれを物語っている。55億円の賄賂が海外から日本の政治家に流れたとされる事件で、解明されたのは田中角栄元総理に流れた5億円だけである。後は闇の中に消えた。ところがこの事件を「総理大臣の犯罪」に仕立てて大騒ぎし、解明されたと国民に思わせたのは検察とメディアである。「本ボシ」は今でも偉そうな顔をしてご活躍だ。

 これまで権力者のお先棒を担いできた検察だが、かつては政治的中立という「建前」を一応は守る姿勢を示した。選挙がある時期に捜査着手は避けてきた。海外逃亡の恐れでもなければ捜査を先に延ばしても何の支障もない。ところが今回はあまりにも露骨に意図が見え見えの時期の捜査である。私はその事に驚いた。いずれやるとは思っていたが、ここまでタイミングを合わせられると、むしろ追いつめられているのは権力の側ではないかと思えてくる。

 容疑は政治資金規正法違反だと言うが、そもそも政治資金規正法という法律がいわくつきのおかしな法律である。国民は規正の「正」が「制」でない意味をよくよく考えた方が良い。本来政治資金を「規制」すべきでないと言うのが民主主義の考え方である。政治資金規正法の本来の目的は金額の規制ではなく、資金の「透明化」にあった。ところが三木内閣が金額の規制に踏み込み、それを「クリーン」と宣伝したため、日本では政治献金に「悪」のイメージが付きまとうようになった。

 アメリカ大統領選挙を見れば分かるが、政治家にとって重要な能力の一つは金を集める事である。オバマがヒラリーに勝ったのも集金能力であった。政治資金は政治家の力量を計る物差しというのが民主主義国家である。ところが日本で「金権政治家」は悪の代名詞だ。なぜなら戦前から官僚機構は力のある政治家を排除する論理として「金権政治」を使ってきた。星亨や原敬など、明治、大正時代に官僚と戦った政治家はみな官僚から「金権政治家」のレッテルを貼られ、新聞に批判されて、憤った国民に暗殺された。官僚機構が権力を脅かされると「カネのスキャンダル」を持ち出すのが昔からの常套手段なのだ。

 ところで今回はどうなるか。こんなに露骨な選挙妨害にメディアと国民がどう反応するかでこの国の民主主義のレベルが分かる。今封切られているアメリカ映画「チェンジリング」は1920年代の実話で、堕落した警察に立ち向かう一人の女性を描いているが、権力を持つ警察に立ち向かう事は難しく精神病院に監禁される。しかし最後には市民が警察に抗議のデモをかけるシーンがあった。民衆が官僚の横暴に立ち上がるのである。民衆が立ち上がるためには警察発表を鵜呑みにしないメディアの存在が必要である。検察の言う通りにしか報道しないのが日本のメディアだが、産経新聞宮本雅史記者のように、著書「歪んだ正義」(情報センター出版局)で検察の実像を書いた勇気あるジャーナリストもいる。どのような報道が行われるかをまずは注目したい。



◆日本の外交感覚 2月27日 田中良紹

麻生総理は「外交がお得意」なのだと言う。「支持率が下がれば下がるほど得意の外交に力を入れて支持率挽回を図る」とメディアは解説している。2月にはロシアのメドベージェフ大統領やアメリカのオバマ大統領と首脳会談を行った。それがどれほど麻生総理を満足させたかは知らない。しかし「国民の支持を失った指導者が外交に力を入れると国益を損ねる」と言うのが外交の世界の常識である。それを許している日本にはまともな外交感覚がない事になる。(中略)


日露戦争を「ロシアがもう少し戦争を継続すれば日本は負けた」と分析したのは陸軍の石原莞爾である。彼は列強に伍せるほど日本の国力はないと見て、アメリカとの「最終戦争」に備えるため、満州という実験国家でソ連型の計画経済を行い、重化学工業化を進めようとした。そして日本は十分な国力を持つまで「決して戦争をすべきではない」と主張した。

 ところが石原の意に反して日本は戦争に突入する。どのような戦略と作戦計画で日本は中国とアメリカに勝利しようとしたのか、それが全く分からない。ハワイを奇襲攻撃するだけで何故アメリカに勝つことが出来るのか。ひたすらドイツ、イタリアとの「同盟」の力を頼み、ソ連との「不可侵条約」を信じたとしか思えない。果たして他国を信じ、他国の力に頼ろうとする外交などこの世にあるのだろうか。

 戦後の日本外交はさらにひどい。冷戦が始まり、朝鮮戦争が起きたおかげで、日本はアメリカによって戦争の発進基地、補給基地と位置づけられ、工業国として復興されることになった。経済復興を最優先に考えた吉田茂日米安保条約を締結し、軍事をアメリカに委ねる事にした。独立国としてはあり得ない選択である。条約の署名は吉田がたった一人で行った。従属的な内容だったからである。同行した池田勇人など後輩を立ち会わせれば責任が及んで政治生命に影響することを吉田は恐れた。

 それほどに従属的な条約を対等に近づけた岸信介は60年安保闘争で政権を失った。しかし岸の功績は別のところにある。石原が東条英機によって追い出された後の満州で、岸と椎名悦三郎の官僚コンビは計画経済を練り上げ、それを本国に持ち帰り、官僚が民間経済をすべて統制する戦時体制を作り上げた。いわゆる「1940年体制」である。それを二人は戦後日本の経済成長モデルとして復活させた。

 貿易立国を国是とし、自動車と家電製品など製造業の国際競争力を「国家総動員」で高める仕組みである。通産省を司令塔に、財界も労働界も、与党も野党も、メディアも国民もすべてが輸出主導の経済体制に協力した。それが日本の高度経済成長を生み出す。その影響で世界経済は混乱した。集中豪雨的な日本製品の輸出攻勢に海外の製造業は大打撃を受けた。中でもアメリカは深刻だった。こうして日米経済戦争が勃発する。

 90年代にアメリカは日本を仮想敵国と断定した。ソ連に対する「封じ込め戦略」を日本経済にも適用した。一方でアメリカは「経済大国となった日本は必ず自立する」と考えた。キッシンジャーは「経済大国が軍事大国化しなかった例はない。アメリカの核の傘から日本は自立する」と予言した。しかし日本は経済大国になっても自立するのが嫌いだった。アメリカに「甘える」道を選択した。

 湾岸危機が起きた時、日本政府は国会も開かずにひたすらアメリカに資金協力を打診した。アメリカに協力をする事で何とか解決して貰おうと考えた。これにアメリカが呆れた。中東の石油は資源のない日本にとって経済の生命線である。国家の生死に関わる重要問題を国会で議論もせず、ひたすら他国に解決して貰おうという「甘え」は何なのか。「日本を経済大国だと思ったが間違いだった。経済が大きくなっても所詮は従属国だ」。ワシントンはそう考えた。

 アメリカに対日脅威に代わる対日侮蔑が生まれた。金がある間は大事にするが、国家として相手をする必要はない。ところが金を出しても感謝されない日本では、「アメリカは金より人的貢献を求めている」と、またまたアメリカの顔色を伺う事を言い出した。アメリカが何を求めているかではなく、日本が何をやるかを自分の頭で考えようとしない。アメリカは表で笑顔を見せながら腹の中では馬鹿にする。それがこの20年ほど続いている。

 日米同盟以外の外交構想を持つことの出来ない国をアメリカが重視するはずがない。自分のことを自分の頭で考えられない国を世界が相手にするはずもない。それでも大事にされるのは日本人が金持ちだからだ。振り込め詐欺がなくならないほど日本人は金持ちだ。それは世界も知っている。麻生総理が望めば外国首脳は誰でも会ってくれるだろう。しかしそれが日本の不幸なのである。



◆「弁論勝負の米国人、文章で勝負する日本人」 おとなしいはずの日本人がインターネットの世界では日本人は決しておとなしくはなく多弁だ。 2008年5月14日 株式日


(私のコメント)
政治スキャンダルは官僚とマスコミとアメリカが仕掛けるものという見方は、田中角栄失脚を見れば明らかだ。今回の小沢一郎西松建設とのスキャンダルも、以前から燻っていましたが、この時期にカードを切ってきた。麻生内閣による「国策捜査」という見方もありますが、麻生内閣でそこまでする策士はいない。むしろ小沢内閣が出来ると困る勢力がこの時期に仕掛けてきたのだ。

田中良紹氏のブログで、小沢代表にスキャンダル暴露という予言が当たった事になりますが、これ以外にも小沢氏の政治団体がマンションで財テクをしているスキャンダルもある。日本の政治家には工作員によって主だった国会議員のスキャンダルねたがストックされていて、黒幕にいに反する事をすればスキャンダルがマスコミにリークされて失脚する事になる。

安倍内閣が短命に終わったのも、公務員制度改革をこころよく思わない役人たちが、安倍内閣の大臣のスキャンダルリークで任命責任を問われたのが原因であり、アメリカと日本の国益とが衝突すると日本の首相は辞任することでアメリカの要求をかわして来た。福田首相の辞任もアメリカの理不尽な要求に立ち往生して辞めたと言う話もありますが、アメリカは日本の総理大臣を意のままに首を挿げ替える事が出来る様だ。

田中良紹氏も弱体化した内閣が外交で支持率を挽回しようとすれば国益を損なう事が多いと指摘していますが、内閣の支持率が高くなければ日本の主張を押し通す事ができない。もし小沢氏の国民の支持率が80%もあって政治基盤がしっかりしていたらスキャンダルを仕掛けることが出来ただろうか? ブッシュ政権も支持率低迷で外交的成果を焦って北朝鮮との融和に踏み切りましたが、アメリカにとってプラスではない。

田中角栄キッシンジャーによって失脚させられたのは、韓国のジャーナリストの文明子のインタビューに答えていることからも明らかであり、アメリカ政府高官と日本のマスコミとの連携は戦後のGHQ以来の繋がりだ。日本の新聞各社が戦争を煽ったにもかかわらず責任を問われなかったのは日本の新聞社がアメリカに媚を売って生きながらえたからだ。それ以来日本のマスコミはアメリカによってコントロールされるようになった。

アメリカにとっては日本の政権を弱体化させて意のままに操る事が国益であり、中曽根内閣や小泉内閣のようなアメリカの言いなりになる内閣ならば長続きするようだ。中曽根総理も小泉総理もスキャンダルネタはあったのでしょうが、マスコミが大きく書かなければ問題にならない。

スキャンダルというのも多くが政治資金がらみのものであり、政治に金がかかるのは世界のどこの国でも同じだ。しかし日本のマスコミは強力な政治家が現れると「金権政治家」と書きたてて悪いイメージを植えつける。民主主義国家ならば国民の支持を集めるには政策宣伝に金を使って支持を集めなければならない。だから金はいくらあっても足らないのであり、それに対して日本国民は政治と金に対して悪いイメージを持っている。

日本の政治家は有権者に対して献金を呼びかける事がどうして下手なのだろうか? オバマ大統領が誕生したのもネット献金クリントンを上回ったのですが、それだけオバマ候補が役者だったのであり、演説という芸を見せて有権者から金を集めたのだ。ところが日本の政治家で金を集めるだけの演説が出来る政治家がいるのだろうか?

麻生総理の国会の施政方針演説を見ても、官僚の書いた原稿を棒読みするだけであり、だから漢字を読み間違えるのですが、オバマ大統領のようにプロンプターを使うにしても国民に呼びかけるような演説がなぜ出来ないのだろうか? 政党の党首ともなれば政党の顔でもあり演説が上手くなければ選挙で勝つことは出来ない。しかし安倍、福田、麻生と演説の下手な総裁ばかりをなぜ自民党は選ぶのだろうか?

欧米の首相や大統領ともなる人は演説の上手な人が選ばれる。日本の政治家で街頭でで演説をして人が集まるような演説が出来る人は数えるほどしかいない。小沢代表にしても口下手で演説は苦手なようだ。日本では選挙になっても演説をする候補はおらず、選挙カーで名前を連呼するだけだ。街頭演説をしても聞く人はほとんど集まらない。

結局は日本の民主政治が成熟化しておらず、広く薄く国民からの政治献金を集める事ができる演説芸も出来ないようでは政治家の資格が無い。だからオバマヒトラーの演説集でも買って演説の勉強もして欲しいものですが、欧米と日本の文化の違いもあるのだろう。英語屋フランス語やドイツ語やスペイン語などは単純な文字体系であり口頭のプレゼン力がものを言うのに対して、日本語は複雑な文字体系で読み書きで意思を伝達する事が主流だ。

インターネットの登場で選挙においても街頭演説が苦手なのなら、ウェブサイトで自分の政策を訴えればいいのだと思う。それで人が集められればネット献金も集まるようなるだろう。しかしGOOのブログランキングを見ても政治家では保坂展人氏の14位が最高であり、私のブログが6位だからいかに政治家がブログに力を入れていないかが分かる。演説が苦手なのならブログで政策を訴えるべきなのですが、政治家には文章力も無い。だから官僚たちに原稿を書いてもらって施政方針演説をするようになる。

このような状況では、日本の内閣支持率を高める事は難しいのであり、政党も安易に二世議員を候補者にするのは止めるべきだ。麻生総理も二世議員であり首相に就任してからの麻生首相はマスコミに叩かれて支持率が一桁になろうとしている。ならばブログなどを使ってマスコミに反撃出来ればいいのですが、「麻生太郎オフィシャルブログ」を見ても当たり障りのないことしか書いていない。

日本の政治家が演説が苦手ならブログで勝負してみるのもいいのではないかと思うのですが、これも文章力が無ければ書くことも出来ない。むしろ芸能人の書いたブログが毎日数十万ものアクセスを稼いでいますが、最近は芸能人のブログがマスコミ記者のニュース元になっている。だから政治家もブログで勝負してみるべきなのだ。オバマ大統領はネットが選んだ大統領であり、日本にもネットが選んだ総理大臣が誕生する時が来るだろう。

小沢一郎がスキャンダルで検察が動き出したのは、クリントンの会談で楯突いたせいもあるかもしれないし、第七艦隊があれば十分といった発言でアメリカ当局が動いたのかもしれない。独立国として当たり前なことを言っただけなのに、アメリカ当局からマスコミに指令が流れて検察が動いて始末されたのでは、いいかげん日本国民も怒るべきなのだ。小沢一郎を支持しているわけではないのですが、日本の政治がひ弱なのは、国民の政治への無関心が原因であり、外国からの政治的干渉は許してはならない。
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