『売国者たちの末路』(副島隆彦・植草一秀/著)〜

売国者たちの末路』(副島隆彦植草一秀/著)〜まえがきより
『「1047」 植草一秀×副島隆彦の超強力対談本、『売国者たちの末路』(祥伝社)が月曜日に発売されました。この本は総選挙前の政界に投げ込まれた、「言論爆弾」だ。今頃永田町は大騒ぎになっているだろう。2009.6.23.』(副島隆彦の学問道場)リンクより転載します。

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まえがき−副島隆彦

この対談本は、植草一秀氏と、私が現下の重苦しい金融・経済情勢、およびやがて来るべき民主党政権誕生への“産みの苦しみ”の最中に編まれた。
植草さんは、“小泉・竹中構造改革政治(2001年〜2006年)”の荒れ狂った嵐の中で、日本国でいちばんひどい目に遭った人である。

今や小泉純一郎竹中平蔵頭目とする売国奴たちが退場しつつある。今や彼らは日本国民から石の礫を投げられ、追われようとしている。私は、舞台から降りようとする人々に、後ろから石を投げることはしない。が、やはり怒りは残る。

私はこの8年間、自分の金融・経済本で、この頭目二人を含めたアメリカの手先となって動いた者たちを、名指しで厳しく批判してきた。その実績を持つ言論人である。このあとも「売国者たちの末路」をしっかりと見届けたいと思う。

植草一秀氏は、今すぐにでも日本国の金融・財政の担当大臣になれる人物である。われわれ日本国民のために、最も優れた政策を実行し、かつ実現できる器の持ち主である。植草氏の深い学識と応用力の高さを理解し、評価している人々は、専門家の中にもたくさんいる。

お会いしてみると、植草氏は実に上品で、温厚で、まるで京都のお公家様のような人である。彼は竹中平蔵ら、アメリカの指図のまま動き、犯罪的攻撃を仕掛ける者たちの毒牙にかかった。狙われた愛国者は十字架に架けられる。

植草氏は日本国で「郵政民営化」という名の、日本国民の資産の強奪を行った者たちの所業を、最も正確に緻密に分析し指摘してきた一流の経済学者である。そのために植草一秀は、竹中平蔵を守り護衛する、アメリカで訓練された公務員忍者部隊に狙われ、残酷なスキャンダル攻撃で痛めつけられた。例の痴漢冤罪の謀略である。

冤罪とは「無実の罪」のことである。この対談本を読んでいただければ、植草一秀氏を陥れ、恐るべき策略の罠にかけた者たちの動機と蠢きの様子が理解できるであろう。

今の日本で植草氏ほど真剣に国民のことを思い、金融・経済政策の立て直しで政策立案能力を備える人はいない。だから彼の頭脳を国政に復帰させるべきだ。

当時(2004年4月)から“植草事件”勃発の経緯を、遠くから凝視していた私に分かっていたことがある。それはあの当時、金融担当大臣になったばかりの竹中平蔵を、自民党の最高実力者たち7人が力を合わせて引きずり降ろそうとした。そしてその後任に植草氏を、日本国民の総意をもって、折り紙つきの有資格者として金融担当大臣に任命しようとしていたのである。そのときの自民党の最高実力者とは、青木幹雄亀井静香野中広務氏らであった。

ところがこのときの日本側の策は、アメリカに見抜かれて一挙に潰された。上記の実力政治家たちは自分自身の生き残りのために尻尾を巻いた。このあと、ひとり植草氏だけが戦場に取り残され、宿敵・竹中平蔵を防衛する特殊部隊に狙われて、業火に焼かれ生身を削がれるような謀略攻撃をかけられた。しかも2回も。私は、植草氏への2回目の痴漢冤罪謀略の「被害者」は婦人警官だと今も信じている。彼らは己の罪の深さを知るべきだ。

日本がアメリカ発の世界恐慌の嵐を何とか越えられるように、今こそ植草一秀という立派な男に、新しくできる日本の政権の中で活躍してもらえるように、皆で応援しましょう。植草一秀は、艱難辛苦に耐えてなお旺盛に言論活動を行なっている。だから植草一秀は偉いのだ。私は心の底から尊敬しています。私たち日本国民の指導者の一人として彼を守り、育てようではありませんか。植草一秀、がんばれ。

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『「1047」 植草一秀×副島隆彦の超強力対談本、『売国者たちの末路』(祥伝社)が月曜日に発売されました。この本は総選挙前の政界に投げ込まれた、「言論爆弾」だ。今頃永田町は大騒ぎになっているだろう。2009.6.23.』(副島隆彦の学問道場)リンクより転載します。

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あとがき−植草一秀

私は幸せな人間だと痛感する。思えば、筆舌に尽くせぬ日々を送った過去5年間だったが、苦しみに勝る喜びを得ることができた。自分自身が身を置かなければ知ることのできぬことがある。この世に不条理と理不尽はつきものである。

副島隆彦氏から身に余る言葉を賜り、お返しする言葉がない。本書は副島隆彦氏の尽力によって成立したものである。私の心には一点の曇りもなく清々とした心境だが、社会との関わりにおいては、いささかいたく傷つけられた。

その中にあって副島隆彦氏は、正しい眼力で私を見てくれた。その尊い勇気ある行動に心より感謝の意を表したい。副島氏が著わしてこられた力作を拝読してはきた。実際にお会いするのは初めてだった。副島氏の深く大きな知の蓄積から発せられる言葉には無駄がなく、しかし、深みと凄みに満ち溢れていた。

小生が対談相手を務めるのは無謀であったかもしれないが、副島氏の縦横無尽の舞台回しにそのまま身を預け、ここに1冊の本ができあがった。

本書の中で概略を説明したが、重なる事件に見舞われはしたものの、私は天に誓って無実潔白である。私は嘘を言わない。無実潔白であっても、罪を着せられ、名誉を奪われることは、現実に数多く存在する。無実が明らかにされて、晴れて汚名を雪ぐ者はあるが、氷山の下には、やり場のない無念の思いを秘めた多数の無辜の人間がいる。日本の警察・検察・司法制度を近代化することは、何よりも優先しなければならない「改革」の課題である。

私は1996年に橋本政権の大増税政策を強力に批判して以来、政治主張の基調を新進党自由党民主党と共にしてきた。2001年の小泉政権発足後は、小泉政権の「市場原理主義」と「売国政策」を徹底的に糾弾しつづけた。2006年に巻き込まれた冤罪事件で東京拘置所に勾留された時間に、『知られざる真実―勾留地にて―』(明月堂書店)を執筆し、小泉・竹中政治の闇を抉り出すとともに、冤罪事件の詳細を記述した。出版予定であった原稿を念頭に置いて新たに書き下ろしたものだった。

2007年以降に表面化したサブプライム金融危機は「市場原理主義」経済政策の必然の帰着点だった。ようやく日本でも、小泉・竹中政治の負の総括が実現することになった。副島隆彦氏は米国金融市場の崩壊を誰よりも早く告知し、完璧なまでの一貫性を保ちつつ、今日の世界情勢を予言しつづけた、慧眼恐るべき稀有の人物である。

世界経済が激変の波に呑み込まれようとする中で、日本政治が歴史的転換点を迎えつつある。既得権益勢力である「政・官・業・外・電の悪徳ペンタゴン」から国民が政治の実権を奪取する、歴史上初めてのチャンスが訪れている。

私が小泉・竹中政治を徹底批判しつづけたのは、すべての国民の幸福を実現するために政治が存在するとの原点を否定したことと、日本政府でありながら日本国民の幸福ではなく外国勢力の幸福を優先する政策を推進したことに原因がある。その誤りの源泉に、生きざまにおける「私」の「公」に対する優越があったのだと思う。

不条理・理不尽を痛感する中で副島隆彦氏からこのようなご厚情を賜った喜びは、言葉に言い表わせぬものがある。これが「生きる喜び」なのだとの感慨を味わった。対談は広範な分野に及び、本書に収録し切れなかったテーマが数多くある。これらのテーマについて見解を示すことのできる次の機会を早くも私は期待している。

私は、私情を超えて、自分の信念と良心に従って発言を続けてきた。時の権力に対してもひるむことなく、正論をもって立ち向かってきた。このことがもたらす大きなリスクを身をもって味わったが、それでも、発言を続ける考えでいる。日本には、国を憂い、将来を慮る素晴らしい人々が存在する。明治維新は人口3000万人の時代に3000人の人間が成し遂げた事業と言われる。その背景や、意味については論議のあるところだが、1万人、10万人の力でも、結集すれば日本を動かしうると思う。

副島隆彦氏の謦咳に接し、微力ではあるが私も、日本政治刷新に力を尽くしてまいりたいと思う。政権交代が実現しても、本当の刷新はそこがスタート地点になる。世界経済の不安定性も残存するだろう。多くの志ある者が力を合わせ、この難局を切り開いてゆかねばならないと思う。本書を読了くださった読者に心からの謝意を表するとともに、不撓不屈の精神で今後も闘いつづけることをお誓い申し上げる。