議員たちは次第に官庁の情報に洗脳される。同じ委員会中心主義の米国

議員たちは次第に官庁の情報に洗脳される。同じ委員会中心主義の米国議員には官庁以外に政党のシンクタンクや議会のシンクタンク、さらには国から派遣された政策秘書チームの情報サポートなどがあり、官庁に頼る必要は全くない。 ・・・   政治家が立脚するのは立法府である。立法府を行政府から自立させないで政治主導もへったくれもない。それが大前提なのにこれまでの自民党政権はそこを放置してきた。むしろ国会が官僚の手の平にあることを国民の目から覆い隠し、あたかも政治が優位にあるかの如くに装ってきた。しかし現実は官僚が作・演出の国会で政治家はただ踊っていただけである。

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改革の本丸は国会にあり(4)
 10月22日付の産経新聞塩川正十郎衆議院議員が、「民主党自民党政治を変えると言うのなら、委員会中心主義の国会を戦前の本会議中心主義に戻すべきだ」と書いている。これは古い表現を借りれば「戦後政治の総決算を行え」との指摘である。

戦前の日本政治の仕組みは英国とよく似ていた。議会が首相を選ぶ議院内閣制、衆議院貴族院からなる二院制、本会議での論戦を通じて立法を行う本会議中心主義などが共通していた。ところが敗戦後の日本は米国の影響を強く受け、国会は米国議会に近いものになった。議院内閣制は変わらないのに、本会議中心主義が委員会中心主義に変わった。

前にも説明したが、米国と英国の民主主義は原理が全く異なる。原理の異なる民主主義を両方とも受け入れ、それを混在させてきたのが日本の戦後政治である。私は「接ぎ木民主主義」と呼んでいるが、そこに戦後政治の混乱の素がある。

英国国教会から逃れたピューリタンが建国した米国は、中央集権よりも地方分権、国家より個人の自由が尊重され、権力は国民の選挙によってしか与えられない。国民が国政選挙で選ぶのは政党ではなく候補者で、議員は党議拘束に縛られない。多数党の政策が成立するとは限らないから議会では最後の最後まで1票を獲得するためにしのぎを削る。法案を付託された委員会は公聴会を開いて外部の専門家の意見を聞き、詳細な議論を行って採決に持ち込むが、採決の結果がどうなるかは予断を許さない。法案の一つ一つが勝負である。これが米国の議会である。

 これに対して英国では、選挙で選ばれるのは候補者でなく政党のマニフェストである。従って議員は党議拘束に縛られる。選挙で勝った与党の政策が実現するのは当り前で、議会では修正のための議論が行われる。その議論を与野党が勢揃いした本会議で行う。野党は本会議で政府与党の政策を批判し、国家のあり方について政府と論争をしながら次の選挙のマニフェストを作る。こちらは政党のマニフェストが勝負である。

 米国型も英国型もそれぞれ一貫した民主主義の原理に基づいているが、それを「接ぎ木した」日本では奇妙な事が起きている。選挙は米国型である。公職選挙法は候補者を選ぶ選挙を想定している。候補者は地縁・血縁のある選挙区から立候補し、名前を売るためポスターを作り、街宣車で名前を連呼する。最近では日本でもマニフェスト選挙と言うが全く英国型ではない。英国の選挙は戸別訪問でマニフェストを説明するだけである。候補者が誰かは関係ない。

 しかし当選すると日本の議員には英国と同様に党議拘束がかけられる。それなら英国型の国会運営を行うかと思えばそうではない。米国と同じ委員会中心主義の国会だから法案の一つ一つが勝負になる。党議拘束があるから政府与党の法案は全て成立する筈で、野党がやれるのは修正協議だけなのだが、日本の野党は修正に力を入れない。与党の採決を「暴挙」と言って審議拒否に入る。このため国会が英国のように修正のための討論や国家の将来を巡る議論の場にならない。

 しかも日本の委員会は米国議会と違って霞ヶ関の官庁の縦割り通りに出来ている。法案を官僚が作るため官庁には国会担当の部署があり、与野党の所属議員に対して法案や所管業務の情報サービスを行う。議員たちは次第に官庁の情報に洗脳される。同じ委員会中心主義の米国議員には官庁以外に政党のシンクタンクや議会のシンクタンク、さらには国から派遣された政策秘書チームの情報サポートなどがあり、官庁に頼る必要は全くない。

 議院内閣制であるために党議拘束を是としながら、本会議中心主義の国会運営を行わず、委員会中心主義の国会運営を行ってきた日本の国会は、官僚にとって誠に都合の良い存在だった。「省庁は予算確保のため、やみくもに法案を提出(中略)議員は委員会での審議に追われ、十分な勉強もできないし、満足に意見を述べることもできない」と塩川氏が産経に書いているが、150日間の通常国会に行政府によって100本以上の法案が提出され、国会と国会議員はその処理に使われ続けてきたのである。

 これまでの自民党政権が「脱官僚」と言って力を入れてきたのは専ら官邸機能の強化であった。おそらく行政府の長である内閣総理大臣は政治家だから、その力を強くすれば政治家が行政府を従属させる事が出来るという発想である。しかしそれは勘違いと言わざるを得ない。総理は周りを全て官僚に取り囲まれている。言い換えれば官僚の情報に取り囲まれている。官僚が行政府に都合の悪い情報を総理の耳に入れるはずがない。それでどうして「脱官僚」が出来るのか。小泉政権の「経済財政諮問会議」も安倍政権の「総理補佐官制度」も官僚が事務方となって支えている限り大した意味はないと思っていた。

 政治家が立脚するのは立法府である。立法府を行政府から自立させないで政治主導もへったくれもない。それが大前提なのにこれまでの自民党政権はそこを放置してきた。むしろ国会が官僚の手の平にあることを国民の目から覆い隠し、あたかも政治が優位にあるかの如くに装ってきた。しかし現実は官僚が作・演出の国会で政治家はただ踊っていただけである。

 国会を行政府から自立させた政治家が行政府の長となり、官僚の人事権と官僚の情報をコントロール出来れば、そこではじめて政治家は官僚を従属させる事が出来る。自民党政権が国会を自立させた上で「経済財政諮問会議」や「総理補佐官制度」を導入したなら多少は評価する気にもなったが、これまでの自民党は全く国会改革を視野に入れなかった。

 「脱官僚政治」を標榜する民主党は英国型の民主主義を目指すようだ。それならば塩川氏の言うように現在の国会を戦前の本会議中心主義に戻す必要がある。同時に公職選挙法も英国型に変えなければならない。候補者の名前を売り込む選挙ではなく、戸別訪問を認めてマニフェストを選ぶ選挙にしないと意味がない。

 しかし日本人にとって半世紀以上慣れ親しんだ米国型の選挙制度を変え、委員会中心主義の国会を変えるのは大仕事である。米国によって作られた現行憲法を変える話になるから民主党だけでは出来ない。国民の理解を得る必要があり、それには時間がかかる。「戦後政治の総決算」の最終版とも言える作業だから時間がかかるのも当然と言えば当然である。

近代日本が明治維新を経て国のかたちを整え、憲法が出来るまでに22年かかった。国会を改革するのもそれに匹敵する作業である。しかし国民が初めて自らの手で権力を作り出した政治の流れは、最終的に自らの手で憲法を作らなければ終わらないと私は思う。国会を改革する話はそうした流れの中にあり、これからそのスタートが切られようとしている。

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投稿者: 田中良紹 日時: 2009年12月 2日 00:33 | パーマリンク
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